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「おしん」にみる人間模様

過去、日本で最も高い視聴率を記録したテレビドラマ「おしん」。

1983年(昭和58年)、ちょうど私が生まれる年の4月4日から翌年3月31日まで、一年にかけて放送されたNHK連続テレビ小説です。
最近、2013年の10月に実写映画版の公開も話題になっています。


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さて、この「おしん」、国内では当時の平均視聴率は52.6%、その後全世界64カ国で放映されている人気番組です。
一体何がここまで人の心を動かすのか、以前から一度は観てみたいと思っていたのですが、これ幸いにも今年再放送されるということになり毎週欠かさず観ています。

ドラマを見る前のおしんの印象については、極貧やいじめを耐え抜く主人公の少女に日本中の人が同情して涙するというもの、とりわけ「年季奉公のため船に乗せられ、連れて行かれる」シーンは有名ですが、まさにそんなイメージを抱いていたのです。


しかし、実際に観ていると、また違ったおしんの魅力に気づかされます。

主人公が、恵まれない境遇をただ嘆くのではなく、必死に打開しようとするがやはりうまくいかない。そんな文字通り崖っぷちに立たされたとき、どこからともなく「拾う神」が現れ主人公を励まし、励まされた主人公が一つひとつ試練を乗り越え強くなっていく。
その過程で、人の温かい心や絆、ひとの人生の奥深さが感じられるからこそ、少なくとも我が家では欠かさず観たいと思えるドラマになっているのかもしれません。


また、物語は静岡県熱海創業のスーバー「ヤオハン」の創業者、和田カツという人物をモデルにしていることもあって、商売に関わるやりとりもいくつかでてきます。

はじめ、おしん夫妻は東京で羅紗問屋「田倉商店」を営むものの、信用していたメインの取引先が倒産したことをきっかけに、子供服の製造小売業に鞍替え。当時(明治後期)はまだ和服がメインで、徐々に浸透しつつあった洋服も一つひとつ仕立ててつくっていた時代に、何度も仕立て直しが必要で費用がかさむ子供服の分野で、既製品として薄利多売で安価に販売することを考えます。

おしんの夫、田倉竜三はどちらかというと派手好きで、小さな努力を積み重ねるというよりは一発大物を狙いにいく、大物のためならば手段を選ばないような性格の反面、おしんは地道にお客様の信用を積み重ね、お客様や従業員、商売仲間との良い関係を築いていくことに重きを置く、そんな二人の商売に対する考え方の違いが印象的でした。


髪結い、羅紗問屋、洋服メーカーを経て、最終的にはスーパーの経営者となっていくのですが、この先はまだ私も知らない展開。我が家では、今後も目が離せそうにありません。

仕事の評価基準は「◯◯」

突然ですが、皆さんは今働く会社でどのような評価をされていますか。


仕事の評価に対する解釈は個人によって様々だと思いますが、評価の基準そのものに不満を持っているビジネスマンも少なくないと思います。

米国など外資系企業では、完全成果主義に限りなく近い印象を持つ一方、日本ではまだまだ終身雇用の影響で長く働きやすい環境を重要視するためか、年功序列的に「忠誠心」を評価する傾向にあるように感じます。

それはそれで、民族性に適合した仕組みなのかもしれませんが、冷静に考えると本当に妥当なのか疑問に思うことも多い。


たとえば、

  • 成果主義というが、本当の「成果」とは数字だけで測れるものなのか?
  • 忠誠心を評価するというが、長くいるだけが本当に忠誠心の顕われと言えるのか?

このような命題に対して真剣に考える企業も多く、最近では実にユニークな評価基準が生まれているようです。


「会社の大切にしている価値観」を評価基準に

東京都のとあるIT企業では、設立当初、月間の粗利の10%を営業職の成果報酬とし、各人の業績に応じて基本給に加算する成果給を採用していました。
この施策ははじめは功を制したものの、顧客のニーズを踏まえたモバイル広告の製作は営業側と作成側との協調が鍵であり、徐々に個人プレーが目立つようになり仕事の質が落ちる事態に陥ってしまったのです。

そこで同社は、職種・役職と給与額を直接連動させるのではなく、同社の「価値観」を具現化した行動規範の実行と、パフォーマンスの 2 つの軸の評価に給与額を連動させる独自の給与制度を構築。評価項目は、1 人の社員につき6 人の社員(上司、部下、同期等)が匿名で評価し、集計されたポイントに応じて自動的に給与が決定される仕組みで、これを導入したことにより社員満足度が格段に向上したそうです。(出典:中小企業庁『中小企業白書2009年版』)



私の考える感動評価

おそらく、企業の評価基準にこれといった正解はなく、企業の風土や環境に最も適した方法が存在するのだと思います。

今日前職の旧友と久々に会って話をしながら、改めて自分の考えを再認識しました。
私が会社を運営するとき大切にしたい評価基準、それは

「その人がどれだけ新しい価値を生み出したか」

「価値」とは、人の心を劇的につき動かすものでなければいけないと思っています。だからこそ、今までにない「新しい価値」にこだわる。私なら、会社の事業分野において社内外の人々をどれだけ感動させられたかを評価基準にします。「作業」ではなく「仕事」をしているかどうか。他者に迷惑をかけないという条件のもとで。


「新しい価値」を評価に落とし込む方法は容易には見つからないでしょう。
たとえ数値化できたとしても、実際フタを開けてみれば人の感情論が適正な評価を邪魔しているはずです。

最終的には、人として総合的に公正な評価を下せるメンバーをじっくりと育てていくことが、遠回りなようにみえて実は近道なのかもしれません。


島根〔石見銀山〕視察の旅2012 〜まちおこし編〜

2012年のGWに夫婦で視察に訪れた、島根県・石見銀山のまちおこし編〔後編〕です。

前編、『島根〔石見銀山〕視察の旅2012 〜文化・歴史編〜』はこちら


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JR岡山駅から出雲まで、特急列車「やくも」で揺られること3時間。
さらにそこから電車やバスを乗り継いで2時間ほど山奥へと入っていくと、ようやくそこには石見銀山はあります。

この山奥の集落に果たして人は来るのだろうか。
そんな思いを抱きながらも、何か光るものがそこにはあると信じて、私たちはその地に向かっていました。


石見銀山の二つの街には、いまでこそ500名近い住民が生活しています。
しかし、一時は過疎化に歯止めがかからない事態に陥り、銀の産地として一世を風靡した当時の面影はなくすっかり廃れてしまったことがあったそうです。

そんな中、なんとかこの街の持つ魅力を発信したいと立ち上がった有志により、古民間の町並み復興からスタートした取り組みは、今では田舎のライフスタイルの提案という形で、都市部の生活者の間で受け入れられるようになっています。



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民家の中、人間と生活の場を同じくするツバメたち。
店内には、「ツバメの落とし物にご注意ください」という触れ書きがありました。


店の入口から中を見渡すと、奥にまぶしく光る新緑が目に飛び込んできます。



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懐かしい縁側の風情。風鈴の涼しげな音色が風に乗って通り過ぎていきます。
季節に応じたしつらえによって、空間は大きく様変わりします。



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木漏れ日が差し込むカフェでの静かなひととき。
この土地ならではの梅を使ったメニューをオーダーしました。



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その昔、病と隣り合わせだった銀山の坑夫が梅の薬用効果に着目し頻繁に食していたことから、この土地にはいまでも梅を使ったレシピがいくつか存在するようです。




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島根滞在最終日の14時、2日間滞在した石見銀山を後にするとき、長い夢から覚めるような心地がしました。

ここに来る人たちは、私たちも含め
日常生活では決して味わえない、見られない、体験できないことを求めて
はるばる山奥までやってきているのだと実感すると同時に、
どこか懐かしい、追憶の景色を呼び覚ます力がこの土地にはあるように感じました。


今、私は商品企画を通じて「モノ」の持ち味を引き出すことを理念として活動していますが、いつの日かこうした土地やコミュニティの持ち味を引き出す仕事に携われるならば、その土地だからこそ輝く魅力でそこに住まう人も、外からやってくるゲストも双方気づきを得られる、自分らしさを取り戻せる、そんな場を築くことができたらどんなに幸せかと思います。

震災と天皇陛下

東日本大震災からちょうど1年になる今日、心臓冠動脈バイパス手術を受けられ静養中の天皇陛下は、皇后様とともに追悼式にご参加されるようです。

医師団によると左胸には依然として相当量の水がたまり、本当はまだ本調子でないにもかかわらず御公務を全うされるということです。


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震災から5日後には、昭和天皇による1945年(昭和20年)の玉音放送以来となる、国民(被災者)に向けての直接的な呼びかけ(ビデオメッセージ)を放送されています。

年間約1000件もの書類に目を通され天皇陛下という責任ある立場での意思決定をされ、約200回の各種行事にご出席、数十件近い祭儀、そのほか公務の数々を執りしきる出典。これだけ自らの自由を犠牲にしてまで、国民の為に尽す御行為を知り、心打たれました。


今上天皇にはこんな逸話も。

学生時代、学友に「銀座に行きたい」と相談し、学友が「いつがいいか?」と尋ねると「今日がいい」と天皇。周りで仕えている人間を騙して抜け出すことに成功し、銀座の高級喫茶店で一杯99円のコーヒーを飲み、洋菓子屋でアップルパイと紅茶を楽しんだ。すぐに事件は発覚して大騒ぎになり、居場所を突き止められると、天皇は警官に包囲されてしまい、これ以上散策が出来なくなりやむなく終了した。という「銀ブラ事件」の逸話です。

もう一つ、意外に知られていませんが、実は魚類学者(正確には、ハゼの分類学的研究者)という意外な一面もあるようです。



話はそれましたが、国民と常に近い立場にあろうとする天皇の姿勢を見て、被災地の方々の中には涙を流して喜ばれた方もいたそうです。それも若い世代に。

こうした励まし合いから、被災地もそうでない地域も国民一丸となって前に進んでいけたなら、この国にはまだまだ真の底力(活きる道)があると感じます。

旭山動物園を蘇らせた1匹の野生グマ

昨日、何気なくTVを観ていたら「仕事学のすすめ」という番組(おそらく再放送)の中で、旭山動物園の元園長である小菅正夫さんたち飼育員チームの取り組みが紹介されていました。

旭山動物園については、今ではあまりにも有名なので説明は不要かもしれませんが、北海道旭山市にある”劇的な再生”を遂げた小さな動物園です。


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1996年には史上最低の26万人まで来園者数は落ち込み、一時は廃園の危機に直面しながら、2007年には上野動物園に迫る300万人以上の来園者を集め見事に動物園を再生させ、そのマネジメント手法が注目されました。

日本の最北端の極地、しかも凍てつく寒さ・・・とても厳しいハンディキャップ。

この、一見恵まれない境遇の中で、一体どのように躍進したのか今更ながら興味を持ったので、「経営資源を活かす」という視点から今日話題にしてみたいと思います。


旭山動物園再生までの道のり

  • 1977年〜 遊園地併設構想→失敗(毎年新たな遊具を導入しても来園者数は減少の一途)
  • 1996年  過去最低の来園者数。40万人→26万人
  • 1997年〜 飼育員の強みを活かしたワンポイントガイド実施
  •      ワンポイントガイドからリアリティ溢れる行動展示へ移行
  • 2004年  「アザラシ館」の話題性からマスメディアに取り上げられる
  • 2007年  開園40周年で、300万人以上の来園者数を達成

理念のぶれが、レバレッジの低下を招いた

当初市が考えたのは、遊園地の導入により来園者を増やすことでしたが、毎年新たな遊具を導入しなければ来場者を確保できない状態となり、失敗に終わっています。ここから学び取れるのは、「動物園としてどうあるべきか」という本質からズレてはいけないということ。
現在、復活を果たした旭山動物園のウェブサイトには「伝えるのは命の輝き」というキャッチフレーズが綴られています。動物の弾ける本能(ともすると厄介そうなもの)を活かすという大胆かつ一貫した視点です。


飼育員 ≠ 動物を育てる人

飼育員が本当に力を発揮するのはどんなときか?
この問いかけに大抵は「動物を飼育するとき」という答えが返ってきそうですが、旭山動物園では、飼育員は「動物の知られざる特性を誰よりも詳しく知る人」という認識がされており、その力を発揮する場こそ、飼育係が活きる瞬間なのだと考える。こうして生まれた「ワンポイントガイド」で小菅さんの手腕がユニークだと私が感じたのは、毎日必ず続ける、その代わり、やり方は個々に任せるということです。動物のワンポイントガイドをする上で、中には話すのが苦手な飼育員もいます。個々に裁量を与えたことで、絵を描いて説明したり、音楽を流したりする飼育員までいたそうです。個々の飼育員の持ち味を活かした多様な表現の場が、動物園を活気づける要因となったと考えられます。


イノベーションは突然起こる。きっかけは一匹の食いしん坊な野生グマ?

ワンポイントガイドはユニークながら、非常に手間のかかるものでした。飼育員は事前に原稿や説明のためのツールを用意しなくてはなりません。
ある時、飼育員が鳥に餌をあげようと果物を置いておいたら、野生のアカハナグマに先に食べられてしまいました。ロープに吊るすなどして工夫しても、ことごとくアカハナグマに取られてしまいます。果実の匂いをかぎつけたアカハナグマは、壁をよじ登り、針金を渡ってロープを手繰り寄せ、見事に果実を手に入れたのです。

「この自然な行動こそ、何よりもアカハナグマの習性を物語ってくれる!」

ここから生まれたアイディアが、動物の「行動展示」でした。
動物の持ち味が発揮される行動を展示して、飼育員がそのガイドをすることで、「動物園では動物は寝てしまって動かない」という既成概念を打ち破るブレイクスルーが生まれたのです。


旭山動物園はとりわけ経営資源が豊かだったわけではありません。
むしろ、境遇としては厳しい環境にあったといえます。それでもこうして成功を収められたのは、「どうぶつのありのままを伝えたい」という一貫した理念の中で資源を取捨選択をして、限られた資源でもその持ち味を最高に発揮させるための創意工夫を絶やさなかったことにあるのではないでしょうか。


今後、もし私が組織を持ったなら、従業員ひとり一人の行動展示ができる飼育員を目指したいと思います。

笑ったもん勝ちです。

「笑い」って人が生きていく上で大切な要素ですよね。

企業内でいえば、一般的にお堅いと思われている経営者(一昔前のイメージですが)や職人こそ、これからは積極的に周囲を笑わせるよう務める時代になってきたと感じています。

なぜか?

それは、笑いがチームメンバーの心の潤滑油になるからだと思います。
近年、飲みニケーションと称して、会社制度化する大手IT企業もでてきているそうですが、それはちょっとやりすぎにしても、やっぱり一つの事業を成し遂げる為にはチームが心を一つにして、同じ目的地に向かってオールを漕ぐことが大切です。

そんなチームの心の絆を結ぶ、接着剤ツールのひとつが「笑い」だと思うのです。
普段は厳しく周囲を鼓舞しながら自ら率先して働き、ここぞ!という時にユーモアの種を蒔くのです。要は緊張と弛緩のギャップです。
緊張から解放された瞬間に、周囲はグッと笑いの渦に引き込まれていきます。


ここで、一つ事例を紹介します。
世界のHONDAを創業した本田宗一郎さんは、「技術の鬼」の異名を持つほどとても厳しい経営者だったといわれます。当時本田さんと一緒に仕事をしていた従業員は、口を揃えて「おやじさんは恐かった」と話していたそうです。彼らはいつも張りつめた環境に身を投じているからこそ、些細な笑いが大きな安らぎとなっていたのだと思います。

以下は、本田さんが1度だけSONYで講演したという内容。
厳しさとユーモアの両面が伝わってきます。


人は、それぞれの立場で言い分が異なります。
他人の価値観を理解していくことは容易なことではないはず。
しかし、笑いは職種や性別、肌の色に関係なく、人の魂の本質そのものですから、唯一の共通コミュニケーション言語と言ってもいいかもしれません。
笑いは、性別、職種、国境の壁をも越えてゆくのです。


とりわけ、追いつめられた環境でこそ「笑い」を駆使していくべきだと私は考えています。

場の空気を「活かす」笑いのテーマは、当ブログテーマにもつながっています。次回は、笑いについての解釈を、もう少し深めてみたいと思います。


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